2010年8月9日

船釣りとサングラスライフについて

地元駅近くでサングラスを買ったら、メガネスーパーの店員のおじさんが、出入口まで見送りに来て、

良いサングラスライフを

だって。
ナニソレ。

というわけで。サングラスをかけて釣りに出かけた。
船釣りは初めて。「良いサングラスライフ」かどうかはよく分からなかったが、
楽しい思い出になった。セッティングの凪部長ありがとう。
初心者・家族連れを想定してたくさん簡単に釣れることも考慮してシロギス釣りの船を予約してくれた。うちは小六の息子つれてく。ほかにも中学生のをつれてきたお父さんも。あとは凪部長の釣り部の面々。いやあ、ほんとにお世話になりました。

浦安から出港してどこまで行くんかなと思ったら、
ずんずん進んで海ほたる過ぎて、船が停まると目の前には何やら鉄サビだらけの巨大な工場が。
ゲーム基地外の我が親子は口を揃えて「魔晄炉みたい」って。なんだよその感想。nippon steelってでっかく書いてある。ってことは、
新日鉄の君津製鉄所前の海。君津ってああた。そんなに遠くまで。40~50分間で着いた。恐らく車より早い。

魔晄炉の日常離れしたその威容は、工場萌えの人なら涙と鼻水どころか体中の液体を垂れ流して喜ぶ光景。後で聞いたがアナゴ釣りには夜この場所へ来るようで、そしたらライトアップした製鉄所が間近に見られるそうで。そんなの工場萌えの人に見せたら飛び上がって船から落ちて死ぬ。

鉄の臭いも漂ってくる間近さ。ちょい工場萌えが入っているお父さんは圧倒されるが、だ~れもそんなの見てない。だって釣りしに来たんだから。ものすげええ忙しいから。仕掛けのつけかた餌のつけかた、釣り方、もう何から何まで一から聞かないと分からないからね。魔晄炉なんて見てないで真剣に聞きましたよ。

結構、簡単に釣れた。すげえ。俺がシロギスなんて釣ってるよ。かっちょいい。でも針が外せない。オカちゃんこと釣り部の人に頼んで何度も外してもらう。ようやく自分で外せたのは4~5匹目以降か。俺の隣に座っちゃってアンラッキーでしたね、すまんね。あ、それから2度もオモリを落としてしまた。オモリを分けてくだすったオカちゃん&寮長さんもありがとうございました。ってことで、最初の方から自分で針を外すなどの活躍を見せた息子より、お父さんの方が世話が焼けたと思う。

何度か釣り場所を変えるわけだけど、船が止まったら釣る、ひとっきり釣ったら移動するを繰り返して、さすが釣り仲間さんたちは心得ているね。あたりまえだけど船の移動中しかヒマがない。その間におにぎりをほうばるなどしないと、東京湾の真ん中で餓死することを知っておられる。マネして持ってきたコンビニ弁当を移動中に息子と分け合う。

何も悪いことしてないのに(つうかコツがあるようだが)放り込んだ3度に1度ぐらい仕掛けがからまる、脇を通った無神経の船のせいででかい横波が来て派手に揺れて、俺だけ落ちると思って悲鳴を上げる、バケツに入れたイイダコが逃げる、飲んだ缶ビールの空き缶が転がって息子が怒るなど、いろいろ忙しかったが、息子と俺各10匹ぐらいは釣ったかな。凪さんが釣った型のでかいのも10匹以上分けてもらって帰宅後かみさんの奮闘でキス尽くし。自分で釣って刺身いただくなんて、まあ、なんて贅沢なんでしょ。

撮ったのはこれ含めて3枚のみ。一眼レフもってくこと考えたけど、写真撮るヒマも余裕も全く無く、持っていかなくて正解。


携帯で撮ったこの写真は最後に寄った釣り場。出光の基地前。洋上にタンカー横付け施設があって、そっから伸びたパイプがタンクへと続いていた。船長さんが「禁煙だからね」と何度も念を押していた。確かに油の臭いがほんのり漂ってくるほど間近。そんでよく釣れた。

2010年8月5日

うちのお婆さんが敬語を使うんです

うちの猫。
15年近く飼っているから、そろそろ開けたフスマを自分で閉めるようになり、
尻尾は二股に分かれて、助けよや、ねこまたよやよやよやと大騒ぎ、
にはならず、

九尾の人柱力を使って里を襲う、
ようなことにもならず、

普通のおばあさん猫になって、毛の艶もなくなって、よいよいで、日がな一日寝てばかりで、ますます可愛くなっているのだが、ある日。
妻が言うには、
「みこひゃん(猫の名前)が敬語を使う」
と。
どういうことかというと、

「ひさこ(妻の名、仮)さんや、それがしは少しく小腹が減りもうしたので、日清ペットフードの懐石zeppinをも少しよそってはくれまいか」

さてはいよいよ老猫変化して喋りだしたのか、
ということではなく、
何やら態度が他所他所しいというのだ。
よくよく見ると、餌をあげても、
「これはなんだ。よく分からないのでプイとしよう」と行ってしまうかと思うと、ゆるりと振り返って、
「あいや、待てよ、これは何と言ったか、なにやら、餌、うん、これは餌というものではなかったか。ということは食べる物であるな。小腹はすいていたかしらん。というかなんだっけ、ここは涼しいな、風の通るこの畳のいつものところで少し伸びて寝よう、あれ、何を考えていたんだっけ、ちょっとばかし撫でられたい」的な中途半端な表情をして、何がしたいか結局よく分からずふらふら、ゆるゆると居間を通り越して行ってしまう。

「敬語を使うかどうか知らないが確かに徘徊老人のようであるね」
と少し妻に同意する。

かと思うと翌日には普通に戻ったりするという。俺には基本的に無関心な猫なので、その微妙な違いを見極めるのは非常に難しいのだが。

かと思うと、夜中に風呂場で断末魔的な鳴き声を上げるので何事かと駆けつけてみると、その俺の顔を見て「どうした貴様、何を慌てている、この夜中に」的な顔をされる。

夕べはかたわらで毛布をもみもみしていて、一緒に眠ろうとしていたところでゴキブリが飛来。妻が退治しているのをはらはらして見ていたらいつのまにか猫はいなくなっていた。ゴキブリやら虫やらから逃げまわるようになってだいぶたつ。