2012年10月7日

手長足長の旅

日帰りで諏訪に行ってきた。
あずさ降りたとこ
これは秋宮
秋宮にあったでかい杉。
青銅製狛犬。相当でかい。

諏訪大社ってのは上と下があるとのことで、
上は駅から遠いので下だけにしといた。
下にも秋と春がある。大層なことだ。
駅でチャリをレンタルして回る。







御柱。屈強な氏子さん達が運んでくる例のアレ。四隅に立ってる。




本殿


御柱Ⅱ

これが拝殿だったかな。


老舗の和菓子屋さん。秋宮の脇にある。
塩羊羹がまじうま。あと、名前忘れたけど季節のおまんじゅうみたいのも絶品だった。ここは行ったら寄るべし。

春宮まで移動。途中の高台が絶景だったけど写真イマイチ。一応諏訪湖も入っているんだけどこれじゃ分からんな。

春宮入り口

春宮神楽殿の注連縄。ぶっとい。


春宮本殿。さっきの秋宮と同じ構造。同じ絵図面から競争で作ったんだそうで。どっちが勝ったか書いてあったが忘れた。

もちろんこっちにも御柱。

やけにヲタクっぽい人たちが来ているなあと思ったら、東方なんとかの舞台なのかね。アニメ絵の絵馬も多く。

うねり方のすごい木。ここの神さんは、秋と春の宮を行ったり来たり移るそうで、今の季節は秋の方で暮らしているとのことで、そのせいかどうか知らんが、こちらの春宮はがら~んとしてた。

万治の石仏。噂に違わぬ変顔。写りこんじゃった姉ちゃん(知らない人)みたく、こうやって三回回ってお祈りする。回り終わると礼をしながら、「万事片付いて候」とかいう。
えっと、自分もやったのに、ほんとはなんて唱えるのかは忘れました。

卍が逆さ。斜めにしたらハーケンクロイツじゃんね。
ナチスの秘密兵器。こんな顔のくせに巨神兵みたく強かったらとても嫌だ。
戦前の日本軍が輸入したらしいという疑いはもちろんない。
仏教で両方使うっつう話を今ネットで読んだから、こいつがナチ党員ってわけではなさそうだ。

当たり前だ。

今回の旅行は息子(中2)が言い出しっぺだったのだ。
で、本命はここ。

上諏訪まで電車で一駅乗って、またレンタチャリ。
長い石段を上ってたどりついた。

こういうキャラ(写真はWEB上から拝借)がどっかにいるのを期待したんだけど、
いなかった。

しかし、社務所でこの写真を目撃。
かみさんが、「うぉぉぉ~」的な声を上げると、
なかからヌシカンさんが出てきて。
「ほほう、ご存知ですかな」的に話しだす。
「この写真は山梨県白洲町の諏訪神社にある彫刻で、当社のものではない。行って撮ってきた」
っつうから、「手長くん、足長くん」みたいなゆるキャラ作ればいいじゃん、
っつったら頑なに拒否ってた。
その代わりお手製の小さなお守りを売っていた。
息子が買った。

ちょっとおもしろかったのが、
有名な「枕草子」で、
御所の清涼殿の北東にある障子に手長足長が描かれていて、通ると目に入る。
女御達が「ちょっと薄気味悪いね。うふうふなどと笑ふ」
みたいなのを、手長神社のこのヌシカンさんが見つけて、驚いて、
京都御所に電話して障子の写真まで取り寄せていた。
取材熱心なヌシカンさんなのだ。

そっから始まって、諏訪地元の神vs大和朝廷の神の話、
古事記は、日本人のものの考え方がよく現れているので、そのへんを深読みせねばならん、
ミシャクジ様ってのがあって、息子が「それ知ってる」
と答えるとヌシカンさんの喋べくりが加速、
などということがあった。

清涼殿の北東と聞いてお父さんは「それは丑寅の方角ですな」
と言ってヌシカンさんに感心していただきたかったのだが、
丑寅が鬼門かどうかにそのときは自信がなく、黙っていたら、
ミシャクジ様とか諏訪大戦とかモリヤ一族とかを知っている息子にヌシカンさんの感心は独占されてしまったのでした。

ユーモラスな手長、足長だけど、
神の系図が掲示してあって、
これだと
たぶん大山祇神社の、大山津見神の次の代、
ヤマタノオロチ退治のスサノオノミコトの奥さん(櫛名田比売)の両親ってことになっとる。
偉いんである。

よく知らんけど。

ヌシカンさんも「古事記は神の系譜がたらたら書いてあるけど、大事なのは日本人の考え方が現れているんだってところを深読みすることだ」
って言ってたしね。

真面目に読んだのは五月女ケイコさんの「レッツ古事記」だけだけど。

足長神社も訪問。


ここは無人。
でも本殿が立派。

辛い苦しい階段を上っただけあって、眺めもなかなか。


苔むして可愛らしいキノコみたいな石祠もあったり。

諏訪湖までチャリで爆走して終了。

おしまい。

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