息子によると、
同じ学年(小学6年)で「ウィリアム王子」と呼ばれる子供がいるという。
あるカテゴリーで、ある役柄の人が畏敬の念を込められて「女王様」と敬称されるように尊敬をこめてのウィリアム王子--ではない。
ましてや本物のウィリアム王子でもない。そこらの日本人の少年である。
呼び方としては、
「やーいやーい、ウィリアム王子~!」
なんだそうである。
だから、言われたウィリアム王子くんは、
「や~め~ろ~よ~」
である。
「や~め~ろ~よ~」と来たからにはさらに嵩にかかる。
「ウィリアム王子」がどうして悪口たりえているのかは「よく分からない」(息子談)のだそうだ。
ウィリアムおうじ。
たぶん、音が似ているからといってウィリアムおおおじさまではない。
あのキャンディ・キャンディで
「なんだよ、最終回でお前(おおおじ)が落ちかよ、ざけんなよ」でお馴染みのウイリアムおおおじさま、ではない。
ウィリアム・マウントバッテン=ウィンザー
そう、(っつうかこんな名前だったのね)
ケイト・ミドルトンさんと婚約してにやけている例のあいつである。
だからって何故悪口に使われるのか。
この間ベルファストを訪問してパンケーキのフライパンを振って得意になっていたからでも、たぶんない。
分からない。
例えばほかので考えてみる。
嵐の大野でどうだろう。
「やーいやーい、嵐の大野」
嵐の大野。ウィリアム王子と文字数も近いし行けそうだろうか。
いや、
かなり弱い気がする。
たぶん「や~め~ろ~よ~」とはならない。
聞くと、しゃらくせえ女子連中に限らず、子供たちにもだいぶ人気者だからだ。
言われた方もあまり悪い気がしない、ような気がする。
むしろ「へへん」とどや顔をされそうな気がする。
なんだか知らんがむかつく。
知名度と好感度の差だろうか。
あるいは子供にとっての「どうでもいい感」が作用しているのだろうか。
ウィリアム王子。小学6年の子供にとって、かなりどーでもよさそうな臭いがする。
いや、俺もどうでもいいのだが。
息子を相手に実験してみる。
「やーいやーい、織田信長~」
「やーいやーい、オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン~」
息子は「や~め~ろ~よ~」とは言わない。
鼻くそをほじりながらPSPの画面に戻ってしまった。
だからといって
「やーいやーい、カダフィ大佐~」
とか言ったら、
「あの、それ、シャレんなんないから(キリッ)」って言われそうだし。
子供たちが実践している「ウィリアム感」を会得すれば、いろいろ勝てそうな、いや、勝てないまでも強く生きていけそうな予感がするのだが。
「ウィリアム王子」が醸す真髄にたどりつけない。
やっぱり大笑いして反応しちゃいました。
返信削除(少年時代の)ウィリアム王子ファンでも、変に納得できそうな、できなさそうな。
王子なのに馬面・若ハゲ、でもって最近では強い「ケイト・ミドルトン嬢の尻に敷かれてる」感、これらの「残念な王子」像が、子供たちの「や~い!」「や~め~ろ~よ~~」になるんでしょうかね?